最近、どこを向いても「多様性」という言葉が踊っています。 けれど、その実態はどうでしょうか。
特定の解釈を認めれば「善」、認めなければ「悪」。 そんな二項対立の波に、知らず知らずのうちに飲み込まれてはいないでしょうか。
本来の多様性とは、「認める人」もいれば、「認めない人」もいて、さらには「どうでもいいと感じる人」もいる。そのカオス(渾沌)そのものを指すはずです。 それなのに、今の「多様性論」は、ある特定の正義に従わない者を排除する、極めて「狭い価値観の押しつけ」に見えてしまうことがあります。
ここで、自分の中に「やさしいツッコミ」を入れてみます。
「今、私が持っているその主張は、いったいどこから来たものだろう?」
その考えは、自分の内側から湧き出た実感でしょうか。 それとも、海の向こうから流れてきた極端な理論や、SNSの熱狂によって「植え付けられた」ものでしょうか。
もし、どちらかの立場に立って相手を裁こうとしている自分に気づいたら、一度立ち止まって考えてみてください。 その分断によって、いったい誰が利益を得るのか。
かつての私たちは、「色んな人がいるんだね、へー」という、適当で、けれど巨大な受け皿を持っていたはずです。 白黒つけない「グレーゾーン」のまま置いておく力。 概念として名前をつける前の、名もなき受容。
「多様性」という概念自体が存在しなかった時の方が、皮肉にも私たちはもっと多様で、幸せだったのかもしれません。
あなたの思考のハンドルは、今、誰の手の中にありますか?

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