職場や社会には時々、不思議な空気が流れます。 それは例えば、接待ゴルフの現場のような場所で、もっとも色濃く現れます。
ある得意先の社長が、ティーショットで思い切りクラブを振りました。 「ブーン」と空を切る音。 ボールは、微動だにせずそこに鎮座しています。
ゴルフのルール上、空振りは「1打」です。 誰が見ても、明らかな空振り。 その場にいる全員の違和感センサーが、一斉に反応した瞬間です。
なのに、次の瞬間。 誰もが申し合わせたように、見て見ぬふりをしました。 そして、その一振りは「素振り」という解釈になり、なかったことにされたのです。
(あの、一瞬の静寂。ちょっと疲れませんか?)
なぜ、私たちは「いまの、1打ですよね」と、さらっと言えないのでしょうか。 それは、私たちが「間違い」を、 その人の存在やプライドと、分かちがたく結びつけてしまっているからです。
「ミスを指摘すること」が、 まるで「その人を打ち倒すこと」や「関係を壊すこと」のように感じられてしまう。 だから、みんなで必死に「正解のふり」を演じます。
でも、そうやって「事実」よりも「空気」を優先し続けるうちに、 私たちの感覚は少しずつ麻痺していきます。 何が正しくて、何がヘンなのか。 その境界線が、接待のたびに、会議のたびに、ぼやけていく。
アンパンマンの繰り出す「アンパンチ」は、 相手を完全に打ち滅ぼすための暴力ではありません。
それは、お腹を空かせた誰かの元へパンを届けるために、 あるいは、本来の穏やかな日常を取り戻すために、 「いま、このおかしな状況」を少しだけ遠ざけるための、やさしい距離の作り方です。
組織のミスや、ゴルフ場の空振りも、同じかもしれません。 その人の人格を否定したいわけではなく、 ただ「そこに起きているヘンな状態」を、そっと元の場所に戻したいだけ。
間違いを「なかったこと」にするために膨大なエネルギーを使うより、 「あ、空振っちゃいましたね」と笑い合える距離をつくる。 その方が、ずっと人間らしい呼吸ができる気がするのです。
一人の「正解」を必死に守り続ける世界より、 みんなで「これ、ヘンだよね」と笑って修正できる場所の方が、 きっと、隣の人のお腹も満たされるはず。
次に目の前で「空振り」が起きたときは、 まずは自分の中にある「いまのはヘンだ」という感覚だけは、 見捨てずに持っておこうと思います。


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