Gender equality(男女の機会平等)について ー 日本はこの点で後進国 ー

 残念ながら私にも当てはまることで、男性はこうあるべき、女性はこうあるべき、といった儒教思想があり、日本で生まれ育つと、どうしても色濃く影響されてしまいます。これは避けがたいことです。その洗脳されっぷりをこちらで明らかにしていきましょう。

例えば、こういうことです。Gender Inequality(男女差による機会不平等)とは

 あなたが頭の中で描く会社の社長のイメージというのはは50代、60代で、日本人、男性というカテゴリーの中に入っていませんか。これは別に、30代、中国人、女性でも構わないわけです。理想を言えば、社長は経営能力が問われるだけで、ジェンダーや年齢はその能力に関係がないはずです。

より理解しやすいように、日本における典型的な例を挙げていきましょう。

  • 日本の企業で女性のみ制服があることが多い
  • 日本の企業では女性社員がお客様にお茶を出す。男性がお茶を出せば違和感を感じる
  • 日本の企業では管理職以上が男性ばかり
  • 日本の企業では、”営業”と言えば男性が多い
  • 日本の企業の昼休み、男性と女性が別々に食事をとる。女性は社内、男性は外食パターンができあがっている
  • 会社で男性上司が、女性社員を総じて「女の子」と称することがある。男性に「男の子」ということは無い
  • 日本の航空会社では女性のCAが圧倒的に多い
  • 日本の子供向け番組で”何とか戦隊”は常に男性がリーダーで女性はサポート役
  • ドラマでは男性が力を持ち、女性が助けられるという構図が多い
  • 専業主婦(女性が家にいて、働かない)は良いが、専業主夫(男性が家にいて、働かない)は普通ではない

挙げればきりがありませんが、日本で暮らしていれば、上記の項目に違和感を持つ人は少ないでしょう。私自身、なぜ、男性と女性とで分かれているのか、色々な国を訪問するまで疑問も持ちませんでした。これらに男女の偏りがあることは、少し「異常」という認識を他の国では持たれます。

しょうがないというレベルではありません。社会的にそういった同意がされている、と言っても過言ではないと思います。

男女雇用機会均等法は雇用やチャンスが均等でないから制定されています。それは法があっても同じことです

 正直に言うと、ここで、この文章を書いている私も、上のリストの男女が逆になったら、違和感を持ってしまうでしょう。理想には近いことを知りつつ、自分の抱えている常識(偏見)から離れられないからです。いわゆる社会的に洗脳を受けていたからです。

Gender Inequality(男女差による機会不平等)洗脳テスト

 ある日、パパとその息子が二人で散歩にでていました。不幸にもその途中、車に引かれてしまい、すぐに救急車で病院に搬送されます。その病院の救急治療室のの手術台で、マスクをかぶった外科医の先生が驚き、こう言います。

「あ、私の息子!」

一体、何が起きたのでしょうか。いったい誰の息子だったのでしょうか。

・・・・・

・・・・・

答えは外科医の先生が母親だった、というオチです。日本では高確率で、義理の息子だったとか、息子を見たマスクのお医者さんが男性であるというイメージがついてまわります。が、欧米ではすぐに母親だと気づきます。単純に職業によってGendar差が少ないからです。どこかの大学が女性に不利になるように入試を細工していたというのも遠因かもしれません。

日本ではこういった常識が数多く存在しています。

他にも色々と実体験や、聞いた話がありますので、それぞれエピソードをどうぞ。

あるレストランのキャンペーンでのGendarによる区別

 始めにお断りしておきますが、こちらのレストランは私の大好きなレストランであり、よく通っています。また、こちらのキャンペーンを作った方には全く悪気は無かったんだと思います。作る側もGendar差による問題に気づかない、この点が問題な訳です。

気になる矢印部分を拡大すると、

「パパにはビール」、「ママにはデザート」と表記があります。

なぜ男性である「パパ」だけにビールなのでしょうか。女性の「ママ」にはビールはダメなのでしょうか。逆もまた然りです。

この点が人によってはGendar discrimination(性差別)と捉えられてしまうわけです。

他にもいってみましょう。

シンガポールにて:日本人幼稚園の懇親会の参加者は母親のみ?!

実際に聞いたエピソードをどうぞ。

舞台はシンガポールにある、日本人幼稚園の園長先生から受けた保護者のための懇親会の説明のやり取りをどうぞ。

園長は女性です。

園長:園が始まって2週間後に、保護者のお母様に懇親会がございます

保護者の父親:あの、懇親会は母親のみ、というのはなぜでしょうか。

園長:あ、いえいえ(焦りながら)、お父様でも結構です。ただ、ほとんどお母様が参加されるので、そう説明いたしました。お二人でも、お父様だけでもご参加ください。

以上のやり取りです。日本では普通ですが、シンガポールでは少し違う、と感じずにはいられませんでした。

懇親会当日、16人の子供の保護者が揃いましたが、パパは一人のみ!だったそうです。

この話を聞いてステレオタイプ通り!あっぱれ日本社会!とは喜べませんでした。

アメリカにて:日本人学校では連絡は母親へのメールのみ。一方でアメリカの学校では父母両方に別々、同時に連絡が入る。

 詳しく説明すると、アメリカのある日本人学校ではPTA向けの報告は何の断りも無く、母親へのメールのみで連絡が行われる。一方でアメリカ地元の学校では夫婦が分かれていようともいなくとも、父母両方に別々、同時に連絡が入る。離婚している率が高いアメリカならではかもしれませんが、日本人学校が最初から母親ありき、であることに大きな差があります。

ここから読み取れることは、日本人学校、広くは日本社会では、子供の保護者は「母親のみ」がメインで扱われているようです。

その一方で、「保護者欄」に母親の名前を書くと、違和感を持たれたり、父親が家庭にいない、という印象を与えることもあります。どこまでも、私たちの抱える常識が判断基準としてどうなのか、を感じざるを得ません。

このページにお付き合いいただき、ありがとうございました。

最後にGender Inequality=男女不平等を考えの根底に持つ儒教=論語の洗脳を解き放ってくれた本を紹介します。

洗脳論語posted with ヨメレバ 苫米地英人 三才ブックス 2011年12月
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論語は素晴らしい、と教えられた(洗脳されていた)からそう思ってましたが、実際にそうなのか、今の社会や自分の人生にしっくりくるのか、考えるきっかけになります。

皆様も、一度、頭のスコトーマ(見える世界の盲点)を外し、まっさらにして考えてみてください。

身の回りに面白い点がいっぱい見つかります。

以上です。

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