かつて、超音速旅客機「コンコルド」は、開発の途中で「このまま続けても赤字になる」ことが誰の目にも明らかでした。しかし、それまでに投じた膨大な時間と資金を惜しむあまり、誰も「やめる」という決断を下せず、そのまま突き進んでしまいました。
これを経済学では「埋没費用(サンクコスト)」と呼びます。 でも、ふと疑問が湧きます。人や組織を突き動かすのは、本当にその「惜しい」という計算だけなのでしょうか。あるいは、ただ止まり方がわからなくなった「惰性」の力なのでしょうか。
(……どちらにしても、一度始めてしまえば、脳はそれが不利益な道であっても「続けること」を選び取ってしまう。その執着は、どこか不思議な怖ささえ感じさせます)
ところが、そんな「やめられない脳」を持つはずの私たちが、一方で、健康のためのジョギングや日記は、わずか三日でいとも簡単に「やめて」しまいます。
泥沼のプロジェクトは「やめられない」のに、自分に良い習慣は「続かない」。 私たちの脳は、一体どこでその線引きをしているのでしょうか。
ここで、自分の中に「やさしいツッコミ」を入れてみます。
「私が執着しているのは『目的』? それとも『自分は間違っていないという証明』?」
コンコルドの悲劇は、目的を失った後の「意地」がハンドルを握り続けた結果でした。一方で、三日坊主が起きる時は、脳がまだその行為を「自分の一部」として受け入れていない、あるいは「今の私には必要ない」と早々に判断したサインかもしれません。
「続けるべきこと」を三日でやめ、「やめるべきこと」を十年続けてしまう。 そのねじれを解消するには、世の中が言う「継続の美徳」や「損得感情」というハンドルを一度手放してみる必要があります。
一人の完璧なエリートが「計画通り」にすべてを完遂する世界より、 みんなが「これは惰性だからやめよう」「これは三日坊主だったけど、また明日から始めてみよう」と、 自分の意志でブレーキとアクセルを踏み分けられる場所の方が、 きっと、結果としてみんなが呼吸しやすい世界に繋がっていくはず。
「せっかくここまでやったんだから」という呪文が聞こえたら、一度立ち止まって、自分の足元を確認します。 過去の自分への義理立てをやめ、真っ白なキャンバスに「今、ここからどうしたいか」を書き直す。 その潔い一歩こそが、執着から抜け出し、新しい空へと自由に飛び立つための、私にとっての滑走路になります。


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