私が勤めたブラック企業の面白?エピソード5つをご紹介

 

ひでせろ
ひでせろ

「今考えれば」ありえなくて面白いブラック企業でのエピソード5つをご紹介します。

こうやって、皆さんにご紹介できる日が来たことを心から御礼申し上げます。

どこかの記事で読んだ話ですが、オーストラリアではブラック企業は存在しえないそうです。

例えば3時間残業するのが通常の会社で、上司が強制するような雰囲気があればすぐに離職するからです。

日本もそうなっていけばいいと思います。学校や会社で我慢ばかりを教えるのは、体制側が奴隷として優秀な人を望んでいるだけです。

会社で働くか働かないかは個人の意思で決定できます。常に自分に選択権があることを忘れないでください。

多少きつくても良いからとにかく英語を使う仕事で自分を鍛えたいと思って入社した前職は私にとって、経験値を上げる面では理想的でした。でも4年間が限界だったようです。今思えば、大学に通い勉強ながら、仕事をして授業を受けながらと給料を得るというような環境にいたと無理やり考えています。

私が体験した厳選エピソードをどうぞ。笑い話にしてください。

怒鳴る、机を蹴る、罵る。

 これはダメです。上司のあなたも部下のあなたも自分の感情をきっちりコントロールしましょう。私の上司の口癖は

「お前 はクソの役にも立たない」

でした。(※名前ではなくお前:こういう呼び方が蔓延する会社でした)

普通に考えれば言葉にするのも憚られる表現です。

会社でも街中でも相手に尊厳をもって接したいものです。

他にも気に食わないときは机を蹴ったりしていました。

どこかのドラマで覚えたのでしょうか。

それをやられるとやる気がどんどんと下がり、気持ち悪いまま一日を過ごすことになりかねませんでした。

こんな可愛い上司のわけありません。

それでも割と自己啓発していたほうなので、「こんなことでは倒れない」

「実際は、俺の方がはるかに優秀」と気持ちを何とか切り替えていました。

「やめる」と伝えた後の対応スピード

 口癖が“大至急”で仕事はスピード重視だったA上司に「辞めさせてください」と言った後の行動の遅いこと遅いこと。12月に辞意を表明して翌年の3月末でやめると伝えましたが、全く動いてくれず、2か月近く経って私が痺れを切らし、1月末に再度そのA上司の上司にメールを送り、ようやく辞める手続きが進んでいきました。

そこでのA上司のコメントは「期末にあたる9月末まで働け」。(おいおい今1月Januaryだぜ!)

I said NO. (きっぱり、すっきり、キレ味よく)

それでも無理やり中間を取らされて6月末に辞めることとなりました。「大至急やめたいです」と伝えればよかったと後で思いました。

その後も他の上司やら営業部長からなぜやめるのかなど色々と質問を受けました。

あまりに残業が多い(毎日23時以降に帰宅)、会社で頑張る気がもう起きない等を伝えると、営業部長から驚きの提案、定時が17時30分に対して、

「おまえだけ夜8時に帰したる」と。

これは2時間半残業というのが絶対という考え方なんだなあと改めて驚いたものです。

もう気持ちがついていかないので無理です、と答えました。

ま、無事やめられましたし、退職金も頂いたので勉強できて良かったという結論になります。その後の毎日が幸せになりました。

出張とレポート提出

 別の記事でも書きましたが、大体1週間の出張で、日曜日出発、その週の土曜日帰りが基本でした。

そして月曜日朝一番にレポート提出。

そのため、日曜日はレポート作成に潰れる。

なぜ毎日レポートを作らないのかと疑問に思うみなさん、出張中で外出しており、

山のようなメールをホテルに帰った後にしなければならず、レポート作成は不可能なのです。

この制度、独身ならまだしも、家族がいたら心配されますし、とても嫌がられます。

私、なんで働いていたのでしょうか。よく頑張った。

米国出張での出来事

 一応は憧れであった、アメリカ出張に行きました。最も厳しいと言われる営業のトップと。

そして、なんとワシントン近郊に滞在時、深夜12時に起こされ観光に行こうとその営業のトップがいうではありませんか。

普通の会社なら断れますが、そんな選択肢はありません。時差ぼけもあり眠れない日々の中、同行していた3人全員が突然連れ出され、先輩が運転する車の中を眠い瞼をこすりながら深夜のワシントン観光。闇夜に光るリンカーン像は忘れもしません。

色々と他にも綺麗だったと思いますが、実はそれ以外あまり覚えていません。眠たかったから。

とにかく運転させられていた先輩が怒りもせず運転していたことに今でも敬意を表します。

部門長が役員と意見が合わず、配置転換へ一部門の営業部長→資材受入れ平社員へ

  ドラマではよく起こる劇的な配置転換ですが、実際にそうなるのを目の当たりにすると衝撃を受けます。

一人の営業部長(40代前半)は、ある日、仕事の報告をした際に、営業をとりまとめるトップ(50代前半)の本部長と意見が合わず、ぶつかったそうです。それ自体は真剣に仕事をする者同士、起こりうることだと思います。普通じゃないのはここからです。

翌月、人事異動があり、営業部長だったA部長は経験の無い資材受入れ部の平社員となりました。そして、しばらくして辞職されます。

ワオ!

海外営業経験が豊富で海外の代理店からも信頼の厚い、頼りになる方でしたので、企業にとっては損失です。

まさに刃向ったり、気に食わない奴は飛ばす、という姿勢です。

他にも同様事例が何度か続き、ついに誰も意見できない裸の王様が出来上がっていきました。

強烈な副作用として、しばらく経ってから中国語と英語を駆使する冷静沈着で優秀な他の部門の営業部長(40代前半で、子供がまだ3歳だった)が辞めました。

その方が辞められたのは、私が既に会社を辞めた後でした。

40代の中堅どころが躊躇なくやめる組織は、どう考えても未来が明るくないでしょう。

ただ単にやる気のなかった新入社員がやめるのとは、組織に与える影響は大きく違います。

最後に。今の自分の仕事が正しいかどうかを知るならどうする?チャーリー・マンガーが語る、良いキャリア「3つのルール」

 仕事は人生の中で大きな割合を占めます。それが自分自身にとって良いかどうかはあなたしか決められません。そして、それを知る良い指針になる、〝良いキャリアの作り方”について、ウォーレン・バフェットの長年のパートナーであるマンガーは、次のように述べています。

「良いキャリアを築くためのルールが三つある。
(一)自分自身が買おうと思わないものを売らないこと、
(二)尊敬しない人のために働かないこと、
(三)いっしょに仕事をして楽しい人とだけ働くこと」

チャーリー・マンガー インタビューより

私、このルールからとんでもなく外れた環境でキャリアを築こうとしていました。特に(二)と(三)。働いていてブラック企業と感じるのも無理はないですね。

皆様も、上記の3項目を基に自問自答されることをお勧めします。少しでも方向性が違うのであれば、その心の声をよく聞き、無視しないように気を付けてください。

スッキリやめて再スタート、転職して良いんです。

私はそうしました。

以上です。

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