野球界に革命を起こした「マネーボール」という物語。 それを初めて読んだときの、あの価値観がガラガラと崩れ落ちるような感覚を、今でも忘れることができません。
長年「野球のセオリー」だと信じられていた、バントや盗塁。 それが、統計学の冷徹なデータの前で、次々と否定されていく。 「得点を得るためには、そのやり方は実は不利である」
そう突きつけられたとき、それまで自分が「正しい」と疑わなかった景色が、一瞬で色褪せて見えました。 私たちが「当たり前」だと思っていた正解は、実はただの思い込みや、根拠のないデタラメだったのかもしれない。
(あの、立っていた地面がなくなるような感覚。正直、少し怖くて、そして少し……ワクワクしました)
ブルーハーツの歌に、こんな歌詞があります。 「見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部 デタラメだったら面白い」
マネーボールが私にくれたのは、まさにこの感覚でした。 「正しい」とされていることがデタラメかもしれないのなら、この世界は、もっと自由に疑ってもいい。 専門家が自信満々に語るルールも、世の中でなんとなく信じられている常識も、一度「それ、ほんとにそうだっけ?」とツッコミを入れてみる価値がある。
データという冷たい数字は、 私たちの曇った目に「やさしいアンパンチ」をお見舞いして、 「正解のふりをしたデタラメ」から、自分を外に連れ出してくれました。
もちろん、データの示す事実が、また新しい「正解」として自分を縛り始めることもあるでしょう。 でも、一度「地面が崩れる体験」をした私たちは、もう以前のようには騙されません。
どれほど緻密な理論が「効率的だ」と教えてくれても、 そこに、自分の身体から湧き出た「でも、なんかヘンじゃない?」という ささやかな違和感を混ぜ込んでおく。 私たちはただ、だいたい設計図通りに動く「部品っぽい動き」をしているだけかもしれない、と自覚しておく。
完璧な理論の隙間に、「それでも私は、こう感じるんだよね」という自分だけのノイズを混ぜ込んでおく。 その余裕こそが、自分を取り戻すための、一番の武器になるはずです。
一人の完璧な専門家が導く世界より、 みんなが「今まで覚えた全部、デタラメかも」と笑いながら歩く場所の方が、 きっと、隣の人のお腹を想像する余裕も生まれるはず。
次に「これが正解です」と言われたら、 いったんうなずく前に、 「あれ、ほんとにそうだっけ?」と 自分の中を一周してから、返事をしようと思います。


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