新石器時代の農業革命とゲームの格ゲーオンライン化、何が同じ?

新石器時代の農業革命とゲームセンターの格ゲーオンライン化、一見何のつながりもありません。

一体、何が同じでしょうか。

結論から言うと、ゲームセンターという存在も技術革新の波=オンライン対戦普及の結果、

それで遊ぶ人々の真の幸せにつながっていないということです。

なぜか、抽象的例と具体例を基に説明します。

まず初めに、世界的ベストセラー本のサピエンス全史をご存知でしょうか。

こちらに一つの答えが提示されています。

人類の歴史に対する深い洞察と考察を含んだ本です。

このサピエンス全史の一つの主張は、

・技術革新が必ずしも人間の幸福を増大させていない

という点です。

例えば縄文時代から弥生時代への大変革で何が起こったか。

端的に言えば、農業革命により労働時間の増加が起こりました

なぜなら木の実を集める採集生活から、大規模な農業への転換によって

単一作物を手間暇かけて育てる必要に迫られたからです。

確かに収穫量が増え、人口が増えました。

一方で働く時間が増え、単一作物に頼り切ることにより気候が悪いときは

飢餓のリスクも増えました。

それならこの変化は必要だったのでしょうか。

ゲームセンターが“オフ”ラインだった時の恩恵

先日、親戚との餅つき大会で、従妹が友達を連れてきていました。

10年を超える長い付き合いとのことで、同級生かと尋ねると、

「ゲーセン(ゲームセンター)で知り合った」というではありませんか。

どうやら2人ともゲーセンの格闘ゲームに熱中しており、中高生だった2000年代は

ストリートファイターやキングオブファイターズなどの全盛期であったそう。

当時の格ゲーは今のようにオンラインで対戦ではなく、ゲームセンターに行って、対面となるゲーム機に座り100円を入れて「乱入」するシステムでした。

そのため、特定のゲーセンに通う人たち同士がそこで開かれる大会などを通じて仲良くなることができた、と。

その結果、20年近くも交友関係が続き、友達として餅つき行事に顔を出すほどになったわけです。

一方、今はオンライン対戦が主流で、ゲームセンターに通うことが不要になりました。

それでもわずかに格ゲーは残っています。

ただゲームセンター側も対戦ごとに安くない通信料(約11円)を払う必要があるため、

100円のプレー代から利益が減るので、儲からないのが実情です。

途中参加で回転率の上がる乱入も今は少ないです。

そして、段々とゲームセンターからは格ゲーが消え、客単価が高いプライズ系と呼ばれるUFOキャッチャー機ばかりになったというのが今の流れです。

このプライズ系の客単価は約800円だそうです。どのゲームも1playは基本的に100円ですので、

商売存続のため稼働率の高いプライズ系にどうしても流れてしまう理由がここにあります。

そして、対戦するオンライン格ゲーは負けたときに顔や表情が見えないので、

「余計に腹が立つ」と言っていました。

想像するに匿名性が保たれているので、失礼なプレーも必然的に増えてくることが想像できます。

そして、ここがポイントです。

家にいながらオンライン上でどれだけプレーを重ねても、将来、餅つきに来るような友達になりづらいということです。

もちろんオフ会などの交流は可能ですし、出会いもあることは否定しません。が、心理的なハードルはありますよね。そして高い確率でご近所さんではないはずです。

このオンライン対戦という技術革新が相対的に幸せを増幅しているでしょうか。私には甚だ疑問です。

ゲーム性という面では面白いかもしれません。しかしながら心の交流はグッと減る結果になりました。

悲しいながらもサピエンス全史の主張は正しいと言わざるを得ません。

技術革新の進むべき道は何か。対面での交流を促進する仕組みが不可欠

それでは逆に現実での交流を促すゲームであれば、どうでしょうか。それはそれで楽しく、時にストレスフルかもしれません。ただ、長期的に見れば人間社会ではそちらの方が幸せだと確信しています。

心の交流が生まれやすく、社会とのつながりを感じるのは現実で時間を共有することです。

人間、会ったことも無い人を助けたり、助けようと思ったりしないのです。

現実に交流することが安全にできるゲームの出現を心から願っています。

同じようにスマートフォンもあなたを幸せにしていますか?

24時間、追いかけれる装置になり果てていませんでしょうか。

一つ一つこの一時間に何をしていたのか見つめ直していきましょう。

そうすればみるみるうちに、自分の行動の改善点が見えてきます。

仕掛ける側は依存型ビジネスに引き込もうとやってきます。そして我々は意識しなければそこから抜け出せないのです。

スマホは依存ビジネスへの招待デバイスと言って過言ではありません。

そこから脱出するためにも、

自分が本当に実現したいこと、理想とする心の交流につながるかどうか

基準に自身を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

ささやかな提案でした。

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